伊万里焼(有田焼)の歴史

 秀吉の朝鮮出兵の際に同行した鍋島藩主鍋島直茂が連れ帰った陶工、

 李参平が有田泉山(いずみやま)にて白磁鉱を発見してから有田磁器

 の生産が始まります。1600年初頭より焼かれだした磁器は素朴な風

 合いの「初期伊万里」に始まり、色絵、藍九谷、藍柿、古九谷様式、

 柿右エ門様式、金襴手様式など多数の様式を生みだしました。17世紀

 中頃よりオランダ東印度会社の注文を受け伊万里から船積みし海外へ

「IMARI」の名称で数多くの名品が輸出され、有田磁器は「伊万里」

 の名称で欧州各国の陶磁器コレクターを席巻しました。現在の有田焼

 は花瓶や絵皿などの美術、装飾品はもとより、割烹食器、高級食器、

 インテリア製品など多様な展開があります。ちなみに「伊万里」に

 名称から「有田」の名称に変ったのは、明治後期に有田に鉄道が敷

 かれ有田駅から貨車で国内市場に積み出されていった為、有田焼の

 名が広まっていったといわれています

伊万里色絵松鶴文           珈琲ポット  

      高さ36cm

VOC東インド会社の注文で
作られたコーヒーポット。
足となった人形の間に注ぎ
口があり、本来は金具の栓
が取付けてあるものです。
     













  (1700〜1740年代)

伊万里染錦山水間取花文
         大皿

         径63cm

輸出用に作られた豪華な飾
り皿。「きもの」を想わせ
る窓抜きの手法は「ひいな
形」と呼ばれたきものの見
本帳から生まれました。








      (江戸中期)

 
伊万里染付蓮魚文大皿
         径33cm

いわゆる「藍九谷」と呼ば
れる初期伊万里後の上手の
作品です。力強いタッチで
描かれた蓮の花と魚が印象
的な優品。













   (1660〜1680年代)

伊万里染錦楼閣花絵

       金具付杯

  (1690〜1730年代)