波佐見焼(はさみ焼)の歴史

 波佐見焼の歴史は近隣の有田や三川内(平戸)の陶産地と同じくして

 江戸初期より始まります。1630年頃より三股(みつのまた)地区で

 上質な青磁鉱が発見され優美な色合いの三股青磁が誕生します。美し

 い澄んだ水色の釉薬の青磁は大村藩の保護のもと当時の有力社に献上

 され珍重されました。波佐見の青磁窯跡は創業の三股の後に木場山

 (こばやま)、長田山(ながたやま)、中尾山(なかおやま)の皿山

 に見られます。波佐見焼は青磁のほかに「くらわんか」と呼ばれる厚

 手で素朴な色合いの染付食器が江戸中〜後期に大量に焼かれ国内の食

 器需要に大きく貢献しました江戸後期になるとコンプラ瓶と呼ばれる

 輸出用の瓶が作られ、長崎出島より海を渡って欧州を中心に売られま

 した。現在、波佐見では約130の窯元がありご飯茶碗や急須などの一

 般食器を中心に焼かれデパ ートや専門店で「有田焼」ブランドで販

 売されています。


波佐見青磁花文彫皿

          直径29cm


丁寧なヘラ彫りが特徴の
波佐見青磁。
器全体に広がった花文様が
見事な作品です。











(1660〜1740年代・木場山)
波佐見青磁花文彫皿

波佐見青磁貼花梅樹文天目台
       
         直径12cm

三股青磁特有の水色に発色
した名品です。
天目台とは、当時茶会で
流行した天目碗を置くため
いわば茶托として使われた
ことに由来する名称です。


     

(1660〜1740年代・三股)

波佐見染付竹賢人図徳利

       高さ32cm

江戸後期になると、この徳利
が中尾の各窯でさかんに作ら
れました。渋い呉須が魅力の
作品です。








      

(1800〜1860年代・中尾)

波佐見青磁掛け分け牡丹

      流水皿

(1600年〜1740年代・木場山)

(1660〜1740年代・木場山)